「ルーシー・モノストーン」という存在について
by Kaien and myyah

サイコに関連する物なら必ず辿り着く人物。この人物が実際に存在したか、しないかでかなりの話題を色々な場所で目撃する事が多いです。ここではその真実についてではなく、もし実際に存在しなければ大塚氏は何を意図としてそう言う人物が実際に存在しているようにしむけたのかについえ書きたいと思います。

注意:書き手は日本語で物事を表すのが下手なので意味不明な点が何ケ所もあると思いますが、そういう箇所は笑い飛ばして下さい。後これはあくまでも私達個人の意見です。したがって、読んでいる人に不快感を与えたり等したら謝罪します。

もし、「ルーシー・モノストーン」という存在が架空であった場合、なぜ大塚氏は彼が存在しているような振る舞いをしているのでしょうか?この事については、サイコのテーマの一つである、マスメディアによる情報操作が関連していると思います。これによって大塚氏は人間がいかに一般大衆用の情報にどれだけ左右させられるかを実験的に読者に見せたかったのかもしれません。

また「ルーシー・モノストーン」は「都市伝説」としてよく語られると記述されてますが、この「都市伝説」も関係していると思います。大塚氏は「ルーシー・モノストーン」と言う人物を作り上げ、一種の「都市伝説」を作っているのでは無いでしょうか?

最後に浮かぶのが、「ルーシー・モノストーン」という存在を突き止めるためのプロセスです。やはり、なんらか関心のある人ならば彼について少しは情報を探したりしたと思います。その時やはり情報がサイコファン以外からは皆無と言っていい程無いのに気付くと思います。ここで「ルーシー・モノストーン」は実在しないのではないかと頭に横切ると思います。でも考えてみて下さい。人間はいつどうやって「存在している」のでしょうか?どこかに、この人物は、この時間、この場所に存在したと言う「証拠」があればその人物は「存在」していると言う事になるのでしょうか?それは少し違うと思います。自分の存在と言うのは「他人」認識して始めて作られる物では無いでしょうか?これは、「モンスター」という漫画でも書かれましたが、「自分」を知っている人が居なくなってしまったら、自分は「自分」であるという確信が持てますか?何を証拠に自分だといえますか?身分証明書等はただの紙切れでしか在りません。「他人」がいるからこそ、「自分」がいるのだと思います。サイコの没頭で書かれている「本当のオレは誰なんだ」もそれに値すると思います。したがって、「他人に認識されてこそ存在する自分」という意味では「ルーシー・モノストーン」という人物は存在するのではと私は思います。

これらの点は「ルーシー・モノストーン」が実在していた場合は全て無効ですけどね。後最後に「ルーシー・モノストーン」は存在していなかったかもしれませんが、「ルーシー・モノストーン」のモデルとなった人は存在していたと思います。なんせ時代が、時代ですからね。